中学生から高校、大学と9年間、そして社会人になってから膝の大けがをするまで3年間、バレーボールを続けていました。……たいしてうまくなりませんでしたけど(笑)
そもそも中学に入ってバレーボールを始めたのは一人背が高いので有利ということと、当時部員が少なく、一学年上の二年がひとりも在籍していなかったので、その春に三年生が引退すれば、残りは一年生だけ、レギュラーになって試合に出やすい。
そんな打算があったわけですが……世の中甘くない(笑)
それまで運動不足で運動神経も鈍いぽっちゃり坊やが身長があるくらいで試合に出られるものではありません。
部員16人中、背番号16番(笑)顧問の期待の低さが伺えます。一年の時は本当に何やっていたか思い出せないほどクサってましたね~
ほんで、迎えた中学二年。この年から新任で入って来た数学の新人教師がバレー部顧問に就任しました。若いもんだからもう、バリバリの熱血指導です(笑)その中でも身長が一番高いくせに動きの鈍い私はすぐにロックオンされました。
「おまえはなんだ???そんなに身長があるくせに!!」と一喝(笑)「俺が鍛えてやるから、しっかりついてこい!」ということになりまして、もう毎日えらいさわぎです。
この熱血指導開始わずか2カ月後、ちょうどまた身長も伸びる時期もあってか身体は恐ろしいほど絞られ、運動神経は相変わらずですが、圧倒的な練習量で即座にレギュラーを獲得しました。
当時、たまたま再会した小学校時代の先生に栄養失調(拒食症?)を本気で心配されるというエピソードがありましたが、こうなるとバレーボールが楽しくてしょうがない。(笑)
この顧問はバレー経験者で指導も適切だったこともあり、二年時の新人戦で東京都のベスト8に進むという快挙を成し遂げました。ここまでくると自分の背番号「16」も愛着がわいてこようというものです。なにしろ最下層からスタートして初めて自分の手で掴んだ成功といえるものでしたから。
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高校でも当然、迷いもせずバレー部に入部しました。先輩方はいましたが、実力でどうどうの一年からレギュラー。ただし高校はあれです。普通の公立と設備を整えて選手を集めた私立の差が激しくて、公式戦ではほとんど勝利できませんでした。
この時のOBとは後に市民チームを結成して繋がっていますが、当時のプレースタイルは決して誉められたものじゃないですね~ 相手のミスに付け込むというか、ネット越しにその選手を挑発しまくるという(笑)スポーツマンシップとかけ離れた汚い立ち回りを得意としてました(笑)
この時期は顧問の指示通りに練習して、それはそれでハードなんですけど、どちらかというと受け身一辺倒なんですよね。自分で判断してこうするという動きがあんまり出来ていなかった。
大学生になると、顧問とかコーチが存在しないので、練習の組み立てからやる必要があって、より主体的にバレーボールに取り組むことになりました。勝つためにどういう戦術を練るのかとか、一歩踏み込んだ境地に達してプレースタイルも流石に大人ですから小汚く相手をヤジり倒すようなまねはしなくなりました。(笑)
社会人になって、一時のブランクを取り戻した時、はじめてバレーボールが心底楽しいと思える境地に達しました。練習の時から全力で身体を動かして走り回り、試合の時は仲間と勝利の為に全力を出す。このカタルシスといいますか、清々しさというのは社会人になって初めて感じられたような気がします。
全力を出し切った後の満足感というのは学生の頃にもあったんでしょうけど、社会人になってからより新鮮に感じられました。
ほら、あるじゃないですか社会人になった今なら高校の授業とか実は楽しかったんじゃないか???と思えるみたいな(笑)うーんちょっとちがうな~、でも近いのかもしれない。
バレーを引退した今でも身体を動かしたいという運動欲求は未だにあるし、だからこそ自堕落してぶよぶよ太った自分を許せない一面もあると言えます。
なんにせよ、運動嫌いだった私の蒙を開いて新しい感動を味あわせてくれたバレーボールとそのきっかけとなった顧問の先生、いまだに繋がりのあるバレー仲間に感謝です。
ちなみに「16」は密かに私のラッキー番号でもあります。
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