前回音楽の話をポロっと出したので、今回はその続き。
そもそも私は2歳年上の兄の影響で小学校の高学年あたりから洋楽を
聴いていました。同級生たちが話題にするアイドルや歌謡曲をほとんど
すっ飛ばしての、洋楽デビューでしたね。当時はいわゆる80’s!!
しかも私が6年生の頃は1984年という洋楽ポップスでの超当たり年!
マイケル・ジャクソンやワム!、シンディ・ローパーといった豪華なメンツが
惜しげもなくヒット曲を飛ばしていた頃、私は夢中でのめり込んだ記憶が
あります。同級生と話題が合わないなんてお構いなし、むしろ自分だけが
聴きこんでいるという優越感すら感じてましたよ(笑)。
この年代の洋楽の想い出話を始めたらキリがないのですね~何回かに分けて
ぼちぼち書いていきます。
洋楽のアルバムを聴いていく中で、そのうちヴォーカルがない
インストゥルメンタルというのが心の琴線に触れまして....
シンプル・マインズの「Don't you?」というミニアルバムに収録されていたと
記憶しているんですが「ブラスバンド・イン・アフリカンチャイムス」という曲、
もうなんじゃこれは!!..と、ひたすら美しい哀愁をまとったエレキギターの
音色が3部構成で押し寄せる!!!感動の嵐!!もうシビレましたよ~
インストゥルメンタル、ヴォーカルがないって事はその時の自分のフィーリングで
曲の響きが全然違ってくるんですね、やれ愛だの恋だの失恋だの反体制だの(笑)
とよけいな主張が伝わらない分、ダイレクトに心に響いて心地いいんですね。
まぁ洋楽のヴォーカルが何言っているかなんて、分りゃあしないんですが(笑)
んである日....兄にレンタルレコード(古!!)でプリンスの「1999」を借りて
こいと言われてお使いに出ていって、まちがってポール・ハードキャッスルの「19」
というミニアルバムを借りてきちまったんです(笑)。兄に相当怒られましたね~
99足りねぇって(笑)まぁしかしせっかく借りてきたんだからカセットに(古!!!)
録音しようって..
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このポール・ハードキャッスルはイギリスのミュージシャンでデジタルサウンドを
駆使したダンスミュージック的な曲を得意とする人だったんですね~当時「19」
という曲はけっこう話題になっていて、クールなダンスミュージックとコーラスを
バックにニュースのナレーションの様な解説がが淡々と流れる。
内容はベトナム戦争に参加したアメリカ兵士の平均年齢が19歳ということ、そして
彼らの悲惨な実態、PTSDという言葉まだ当時ありませんでしたが……
そういったことを英語で、時にはディレイな効果をはさんでしゃべるという....
こんなのディスコで流して踊れるのか??というシュールな感じでした。
ミニアルバムはひたすらこの「19」のほとんど違いもわからないバージョン違いが流れて、愕然としました。
中には当時のニュースキャスター小林完吾氏がナレーションを担当した日本語バージョンまで収録されていて、それがディレイ効果で「べべべべベトナム戦争では19歳だった」「べべべべベトナム戦争では19歳だった」「べべべべベトナム戦争では19歳だった」とか繰り返されてイジられていて、ネタとして面白かった記憶があります。
あぁ、がっかり....とすっかり肩を落としたこの「19」、しかし最後に収録されていた唯一「19」のナントカバージョンとかじゃない違う曲、「KING TAT」という曲がかかったとき、蒙が開かれた衝撃を味わいました。
クールなテクノサウンドの中にある種の哀愁、これをBGMに夜のハイウェイを車で走らせたらひたすらカッコいいだろうなぁなんて...当時車の免許も無い、レコード借り間違いの坊主頭が目覚めた瞬間でした(笑)
「KING TAT」はツタンカーメンの呼称だそうですが、なるほど神秘的なイメージで悠久の時の流れも感じなくはない....ような(意味不明)
まぁそれ以来、徐々にインストゥルメンタル→ジャズ・フュージョン、イージーリスニングと自分にブームが到来するんですが、そういう意味ではこの「KING TAT」は思い出深い曲の一つですね。
では最後にお聴きください。ポール・ハードキャッスルで「KING TAT」
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